言葉
一か月前にみた『うるう』について今もよく考える。
自分の備忘録として、まずはお芝居にでてきたアイテムを書きとめておいた。
書きだしたアイテムだけでも50を超える多さだ。
それは何のためにしているかとうと、
忘れたくないから。
心が動いたことを大切にしたいから。
あれこれ、日記帳や雑記帳におもいつくままつらつら書いているけれど、きちんと文章にして、今の思いを残しておきたい。
だけど、どうしてそういうふうにしたいんだろう。
世の中にも、今、ブログやツイッターが氾濫していて、情報を受け取る私たちは、きちんと整理する強さをもたないと踊らされる。
私が言葉にしたい訳は①自分のため②それからだれかと(誰?)共有したいから・・かもしれない。
賢太郎さんが、カーテンコールで、「お手元のアンケートにご記入」っていわれてて・・でも真摯に考えれば観劇直後自分の思いをここで書くことなど出来そうになかった。
でもそのとき何も書かなかったことをずっとひきずっている。
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おもいかえせば、これまで、だれかにファンレターらしきものを書いたことが2回ある。それは、そのとき観たもの聴いたもの体験したことにどれだけ感銘をうけたか、そのことを誰でもなくその時の『表現者』につたえたかったから。
そんなときの自分は嫌いではない。
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それでもまだ今も書けずにいる。
いいかえれば、『うるう』はそれほどの印象をのこしたであって、この言葉をもってして今の自分の気持ちをいいえてるというものを(たとえ拙くとも)書くまでは、いろいろなものを自分のなかで寝かせている。
でもそろそろしぼりだそう。
後悔のないように。
表現する人・受けとめる人
について考えれば、私はほとんど受けとるがわの人間だ。
私にできることは、そのことを表現者にかえすこと。かえすことというのはいろいろな意味で。
いちばんには、感性のまま、『すてきだ----』とさけぶこと(笑)それから自分について考えること。
よい芸術は、必ずそうさせてくれる。
そして、表現者にむかってできることは、自分の生き方で表すこと。
言葉にならなくとも、そのことが出来ているか否かが一番大切なこと。
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でも、言葉にしたいと思う。考えること=言葉にしたいと思うのです。
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